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執筆者の写真うさぎ観察日誌

第9回高校演劇山梨オープン小劇場祭

更新日:2022年10月25日

2017年3月29日



 第9回となるこの高校演劇山梨オープン小劇場祭、これまでタイミングが合わず、実は伺うのは初めて。『マナちゃんの真夜中の約束・イン・ブルー』のマナちゃんこと那須愛美さんが聞き手という、なんとも豪華な幕間トークをさせていただいた。あとで思ったこともいろいろあるので、ブログでも。


 まず、競技であるコンクール上演と、競技ではないフェスティバル上演の両方の機会があることが、演劇をやっている高校生にとってとても贅沢で素敵なことだと改めて思った。理由はいくつもある。演じる機会が一回でも多い方がいいから。時間を置いて上演するために、その芝居に向き合い直すという稽古がとても大事だから。あるいは、全く違う芝居に取り組むチャンスにもなるから。大劇場と小劇場の両方で演じてみると、その違いはとても面白いから。観客を迎えるという経験が大会とは違う経験だから。

 では、上演された作品について。講評ではなく、感想です。



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山梨県立甲府南高等学校『歩き続けてときどき止まる』

作:中村勉

演出:山岸優希 石原尚子


 この作品が観たくて、山梨行きを決めた。見応え十分。中村勉ワールド全開。


 「思考」について考える。歩きながらなにかを考えていると、考えはつながっているけれど論理的な思考とはちょっと違う。しりとりしているみたいに、イメージがころがっていく。ときどき途切れたり、飛んだり。そんな感じでシーンが流れていく。コミュ障の相談の中で、「会話は続けば中身なんかどうでもいい」という話が出てくる。本当にそう思っているようでもあり、ちっともそうは考えていないようもでもある。淡々と続いていく会話は逆説的にも響き、観客は迷路を進むようにゆっくり手探りで歩んでいく。低体温の、決して熱くならない高校生たち。つながって、ころがって、さらさら流れていく時間。語る「わたし」も、ころがって、変わっていく。芝居も、芝居の中の彼らも、まさに歩き続けている。

 私はたゆたうような、構成を感じさせない流れるような構成のこの芝居が好きなのだけれど、三好達治の詩以外に、もう1本なにかしら補線を引いてあげたら、そのたゆたいを楽しめる観客の数が増えるだろうか?


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山梨県北杜市立甲陵高等学校『ナイゲン』

作:冨坂友(アガリスクエンターテイメント)

潤色:入山実と甲陵高校演劇部

演出:波多野伶奈


 開演直前に当パンフレットを開いて、あれ、アガリスクエンターテインメントってどこで聞いたんだっけ・・・と、気になりつつ、幕間トークのときにはわからなかった。勉強不足を恥じる。


 なので、「元々の作品では、大人が高校生を演じていた」ことを知らずに、観劇の最中には『七人の部長』や『生徒総会』と比べていた。本当は、その比較は間違っているのだと思う。

 潤色作品を講評するとき、本当はどんなエッセンスを抽出したかを判断の基準にしたい。だが、元の戯曲に触れたことがない場合は、目の前で繰り広げられている世界でしか判断できない。そして、あらゆる芝居に精通していることなんか不可能なのだから、結局、今ここで観ている芝居についてしか論じられない。その限界と矛盾。「等身大高校生の青春もの」として高校生が演じる芝居と、大人が敢えて「高校生を演じる」芝居は違うはずなのだが。

 今回の『ナイゲン』は、高校生が高校生役を演じている。元の戯曲にあったはずのもっとねじ曲がった部分や、大人が演じることによってカリカチュアされたはずの部分が、すなおに、きれいになってしまったのではないだろうか。しかし、それは私の想像でしかない。文化祭をクローズではなくオープンで行うために、学校から(体制側)から押しつけられた条件をのむか、のまないかというストーリーは、エンタメ志向の大人が演じたときにどの程度重要だったのだろうか? トークでも話した、「ここで描かれている高校生の恋愛はリアルではないのでは?」という私の違和感は、大人目線の脚本だからだったのか?


 いずれ、私のこんな考えすぎの感想や、そもそもの戯曲の意図など超えたところで、高校生パワーが爆発することが上演の成功の鍵だと思う。スクエアに会議机で囲んだ会議のしつらえがぶっ飛ぶくらい、もっと熱く、もっと騒がしく、すべてを笑い飛ばすパワーでまた上演して欲しい。


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都立世田谷総合高校『生徒指導‘17』

作:せたそー演劇部+岡崎恵介


 カーンと終わった。40分、あっという間の面白さ。年齢の違わない高校生が教員も高校生も演じることによって、人間のみにくい部分やだめな部分は同じなんだ感がぐっと強まる。舞台美術の散らかった紙のような、ストレスが積み重なった日常。それでも踊る。それでも生きる。


 大人の描きかたはまだまだ甘いのか。もっとドロドロした人間関係が欲しくなる。(そんなドロドロ好きではないのだけれど、この芝居では、そこがもっと観たくなる)いわゆる教育的ではない展開。もっとやれ、どんどんやれ、と、思う。


 ちなみに、2016年12月の東北大会では、小名浜高校の『遭難、』(作・本谷有希子 潤色・安井宏)の上演があった。高校演劇の世界、皆が思っている以上に挑戦的だ。

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 半日で4本。リップサービスなしでどれも面白く、とてつもなく充実した小劇場祭であった。3月は、全国各地で演劇部自主公演やフェスティバルが行われている。同日(前日も)、青森の渡辺源四郎商店2回稽古場で「中学生・高校生のための高校演劇見本市Ⅳ」が開催されていて、青森中央高校演劇部による『マナちゃんの真夜中の約束・イン・ブルー』(作:中村勉)も上演されていた。北海道北見では、新井繁先生の演劇集団玉葱倶楽部第9回公演「千里だって走っちゃう」も上演されていた。体がいくつあっても足りない。

 

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