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執筆者の写真うさぎ観察日誌

ROSE

W・ローズ+シアターΧ 共同企画『ローズ』は、東京演劇アンサンブルの志賀澤子氏が演出・出演してロングランを重ねる一人芝居です。2018年4月9日上演の当日パンフレットに文章を寄稿させて頂きました。たくさんの方にこの芝居を紹介したいので、そして、劇場に足を運んで頂きたいので、志賀さんのお許しを得て、舞台写真とともに拙文を再掲いたします。再演の際には、ぜひ、ローズに会いに行ってください。



ローズの隣に座って

                                                           工藤千夏(劇作家・渡辺源四郎商店ドラマターグ)


   この一人芝居を演じる志賀澤子さんは1時間40分一人でしゃべり続けているけれど、登場人物であるローズは、本当は、一言も発していないのではないだろうか。無言のままベンチに座っているだけ。ある少女の死を悼むために、ユダヤ教の儀式「シヴァ」を行なっている。ニコリともせずに、少女を殺したその男の顔を思い浮かべている。その殺人に至る因果について考え続けている。因果は、ローズ自身のドラマチック過ぎる人生と密接に関わっているから、怒りの矛先は最終的に自分に向かってしまう。「でも、本当に私のせいなのだろうか? この憤りを、この悲しみを誰かに話せたら、楽になるのだろうか?」ローズは、告白する自分を夢想する。でも、実際には語らない。だって、いつも、本当に大変なときには何も言わなかったから。言葉を飲み込んで、悲しみを包み隠して生きてきたから。


 まるで誰かに向かっておしゃべりしているように無言の回想を演じるから、観客は、ローズが自分に向かって話しかけているような錯覚に陥る。ローズ、あなた、そんな風に恋に落ちたのね。ローズ、あなた、そんな辛い別れがあったのね。「聴き手の私」はローズの友人として、観客席ではなく、いつのまにか彼女の隣に座っている。ローズの手をとる。ローズの手に「聴き手の私」の涙が落ちる。

 友人であるローズの回想につきあいながら、これはあるユダヤ人女性の生涯、過酷な体験に基づいた特殊な物語だと考える。もっとユダヤの歴史や政治を知りたい、知らなくては。彼女を理解するためには、私はもっともっとその民族について知識を持たなければならない。

 同時に、これは、ユダヤ固有の物語ではないと感じる。私はこの女性をよく知っている。世界中、諍いのある場所で必ず犠牲となる弱者。ローズはあらゆる国の、あらゆる時代にいる。

 相反する二つの思いを両輪に物語世界を突き進む私の脳内を、キーワードがグルグル巡る。生きる、女性、国家、戦争、民族、アイデンティティ、平和、故郷、恋、愛、セックス、結婚、子供、富、運命、成功、病気、若さ、時間、そして、死。


 残酷な芝居である、人生のように。初めてご覧になる方のためにその内容は書かないが、私はそのシーンになったとき、取り乱し、でも何も言わずにその場から離れたローズを抱きしめたくなった。言葉を飲み込むローズに、その瞬間何も言わなかったローズを演じる女優・志賀澤子のあの目に、ゴクリという音が聞こえそうなあの喉に、やられた。

 そして、つくづく愛おしい芝居である、人生のように。何があっても、何がなくなっても、人生には愛がある。人は人を愛することができる生き物なのだと感じさせてくれる。あれだけいろいろなことがあったのに、芝居が静かに終わるとき、そこに絶望はない。


久しぶりにある友人のことを思い出した。ニューヨーク市立大学大学院で演劇を学んでいた2000年、ドラマトゥルク専攻の留学生は、私とイスラエルから来た25歳の彼女の二人だった。やたらセクシーで、とてつもなく聡明な彼女は、同い年の夫と一緒に米国留学できるような富裕層で、私より一周り以上も年下なのに私なんかよりずっと大人びていた。ふとしたことから徴兵制度が話題に上ったとき、弟が服役中であること、彼女自身が徴兵経験があることがわかった。「とにかくいやな体験だった」と言ったあと、彼女は黙り込んだ。彼女は今どうしているんだろう?「チナツはついに最後まで私の名前を正しく発音できなかったわね」と、微笑んでイスラエルに帰っていったRiviに、志賀澤子さんの『ローズ』を観せて語り合えたら……。


 ローズは、世界中の私たちの隣にいる。







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