あまりに突然の訃報に、しばらくリアクションできませんでした。劇団員に伝えることも、弔電を打つことも、信じたくない、信じがたい事実を認めてしまうことが怖くて動きたくなかったのです。彼女の笑顔を思い浮かべました。彼女と話したあれこれを思い出しました。一度、二人でじっくり飲んで話したせいでしょうか? 仕事仲間というより、年の少し離れた親しい友人のように思っていました。同じ時期にNYにいたわけではないのに、あの街で何を感じ、何を抱えて日本に帰国したか、これからどう創っていくのか、うんうん、わかるわかると頷き合いました。 遺された者にできるのは、その人について語り続けること。そして、共に創り続けること。私がお願いしたイカラシさんの仕事は「イカラシチエ子の世界」のほんの一部に過ぎませんが、彼女が生きて、創った証を記しておきたいと思います。心よりご冥福をお祈りします。
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イカラシさんとは、舞台美術家の山下昇平さんの紹介で知り合いました。そのときには直接お目にかかっていないのですが、2007年の青年団リンクうさぎ庵Vol.5『チチキトク サクラサク』(作・演出:工藤千夏)で、小道具や劇中で着替えする衣装を入れる自立する皮製の袋を作って頂いたのが最初の仕事です。俳優が全く退場せずに、道をイメージする舞台空間を囲んで座っています。その椅子の脇に、目立たないように、でも、シンプルな空間にあって美術としてきちんと機能する、蓋はないが近い客席から中は見えない、くたっとならずに自立するという難しい注文をクリア。写真左手前に一つありますが、目立たないというオーダーどおり、この明かりの写真だと全く見えませんね。
2007年 うさぎ庵『チチキトク サクラサク』ゲネ写真 撮影:田中流
時間は飛んで、2012年5月、渡辺源四郎商店第14回公演『翔べ!原子力ロボむつ』(作・演出:畑澤聖悟)のとき、作品に登場する双子のロボットの衣装の相談をしました。これは私の最初のスケッチ。イメージはロバート・ウィルソン世界のAラインです。
これをヘッドドレスも含め、実際に創ってくださったのがイカラシチエ子さんです。厚手のウールの素材選び、袖のデザイン、裾の輪っかを入れて動いたときのドレイプなど、細かなところまで行き届いた作品です。着心地はもちろん、舞台で俳優が衣装として着用してどう見えるかということを、当然ながらきちんと考慮し、芝居に寄与してくださいました。
2012年 渡辺源四郎商店『翔べ!原子力ロボむつ』 撮影:山下昇平
フェスティバル/トーキョー14 渡辺源四郎商店『さらば!原子力ロボむつ ~愛・戦士編~』(作・演出:畑澤聖悟)では、ロボット衣装黒バージョン追加の他、ベースになる各人のジャージに合わせてプラスする、リンゴ王国/イカ帝国の人々の衣装も創って頂きました。
F/T14 渡辺源四郎商店『さらば!原子力ロボむつ ~愛・戦士編~』撮影:松本和幸
F/T14 渡辺源四郎商店『さらば!原子力ロボむつ ~愛・戦士編~』撮影:松本和幸
さて、こちらは、2014年3月初演の津軽ふるさと創成劇『鬼と民次郎』(作・演出:畑澤聖悟)のために、イカラシさんがデザインしてくださった衣装です。青森県鬼沢の鬼伝説と義人・藤田民次郎(1792〜1814年)の生涯を組み合わせた物語で、ある種の時代劇なのですが、リアルな農村のイメージではなく、鬼沢獅子踊りとマッチする様式美の世界を追求しました。
写真:特定非営利活動法人あおもりふるさと再生機構
プロトタイプとして、まず、以下の上下を送ってくださいました。
さらに、それを歴史と伝説の里「鬼沢の会」や市民劇参加のキャスト・スタッフのみなさんが縫いやすいよう、プランを修正してくださいました。上着の丈をもっと長くして、役柄を変えられるようフードを付けるデザインに変更提案してくださいました。
自得地区環境保全会 (青森県弘前市)は、『鬼と民次郎』の上演を含む様々な取り組みで、歴史と伝説を地域ぐるみで継承して発展し続けるむらづくりが評価され、平成26年度天皇杯むらづくり部門を受賞しました。初演のあとも、貴田千代世氏の演出で、同じ衣装や美術が引き継がれ、鬼沢地区の新しい伝承芸能として再演が重ねられています。
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最後のこの写真。2013年9月、四谷のCROSSROAD GALLERYで開催されたイカラシチエ子 展「ここ」にて。小さな空間のために作られたインスタレーションの中に、イカラシさんにも入ってもらって撮影したものです。ウエディングな短編戯曲のリーディングが似合いそう、一本書きたい、というようなお話もしました。ミシン一台抱えて、青森のアトリエに来ていただき、稽古を見ながらガンガン衣装を縫っていくジャズセッションみたいな作り方も面白いね、っていうようなお話もしました。これから、まだまだいろんな創作をご一緒するはずでした。こうしてお願いしたお仕事を振り返ってみると、全然やり足りない、もっともっといろいろな芝居でご一緒できるはずだったのに。悲しみとともに、怒りにも似た感情が襲ってきます。こんな訃報、きっと、なにかたちの悪い冗談です。なにかの間違いなのです。あなたは新潟にいて、なかなか会えないけれど、ソーイング・アーティストとして素敵な作品を作り続けているのです。私は、これから先も、芝居の衣装を考えるとき、イカラシさんにお願いして創って送ってもらおう、と、性懲りも無く言い続けることでしょう。イカラシさん、連絡してもいいですよね?
イカラシさんが、東京から新潟に居を移してから取り組んでいた仕事は、舞台衣装に止まらず、布と裁縫の技術を用いたアートに近づいていました。私自身の気持ちに整理をつけるために、彼女と一緒にした仕事を振り返っていたら、ソーイング・アーティストということばを思いつきました。「ソーイング・アーティスト イカラシチエ子の世界」、読んでくださり、イカラシさんのことを知ってくださり、ありがとうございました。
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