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執筆者の写真うさぎ観察日誌

銀座わが町

更新日:2022年10月25日

2015年 06月 24日

 さて、これは銀座4丁目の和光前から、新橋方向に向かって撮影した写真である。三愛の向かい側のビル(なんだっけと思ったら、地下のライオンとか呉服屋さんとか入ってた)が工事のために取り壊されて、ガラーンとしている。写真では見づらいが、みずほ銀行の看板のすぐ隣に銀座ライオンの茶色い壁が見える。松坂屋が再開発のために、全く存在しなくなっている。鳩居堂前をまっすぐ新橋に向かって歩いたところ、ニューメルサも耐震工事中。まあ、一挙に再開発ということなのだろう。古き良き時代の銀座はガンガン壊され、新しい街に生まれ変わる過渡期なのだと理解する。


 そして、歩いているのは観光客ばかり。ブランドショップのガラスには外国語表記が踊り、ユニクロや資生堂やデューティーフリーの店の前は人だかり。聞こえてくるのはほとんど中国語で、エネルギッシュなアジアの街の様相を呈する。平日の午後って、サラリーマンとかOLとか、そのあたりで働く人がもっと歩いてなかったっけ? 活況であることに変わりはないのだが、銀座が成田空港のショップ・アーケードと大差ないっていうのはちょっと寂しい。


 地方出身者である私の東京への思い、特に、銀座という町への思い入れは、子供の頃に大好きだったNHKのドラマ『銀座わが町』によって育くまれた。島田陽子がまだ若手新進女優だった頃、銀座の老舗の料理店を舞台にしたロミオとジュリエットみたいな話だったような記憶が……。調べてみると、放送は1973年から74年。原作: 作:小野田勇 脚本: 音楽:小川寛興 番組詳細:東京・銀座を舞台に、そこに暮らす人々の心のふれあいを、明るく爽やかに描くコメディー。天ぷら屋「江戸春」とレストラン「ぎんざ亭」は、物の考えから家族構成まですべてに正反対で、何かにつけていがみ合っていた。そこに両家宛ての紹介状を持った、天涯孤独の娘が現れたからさあ、大変・・・。


 NHKアーカイブ みのがしなつかしというこれで、ダイジェストが見られるのだが、いやぁ、凄いメンバーが出てたんだなぁ。主な出演者:中村玉緒、森光子、藤岡琢也、三木のり平、フランキー堺、海老名美どり、鮎川由美、黒柳徹子 凄い、凄い。台詞回しも当時の日本映画みたいで、いいなぁ。  偶然、最初に就職した広告代理店は入社当時新橋、それも銀座8丁目に近い場所にあり、営業マンの出先が「天国」とボードに書いてあると、もちろんそれは「天国」(てんごく)ではなく、老舗天ぷら屋さんが入っている「天國ビル」(てんくに)だったりするのである。移った広告制作プロダクションは東銀座にほど近い築地だったが、これも銀座は徒歩圏内。銀座の大和屋シャツ店のビルにある銀座支店にムック編集で出向していたときには、建て替え前の交詢社ビルのピルゼンの裏口が窓から見えて、夕食はビルゼン!という幸せっぷり。最後に勤めた広告代理店は京橋の住所ながら、ほとんど銀座1丁目といっても過言ではない場所。土日出勤するときには、新橋から銀座をずっと歩いて、福家書店をひやかして、木村屋でサンドイッチを買って、教文館もぐるりと回って、セゾン劇場を片目に見ながら仕事に向かったのである。  NYでは(すみません、NY風吹かしちゃいます)、十年住めば誰でもニューヨーカーと言われた。江戸っ子は、三代前から住んでないと江戸っ子ではないから、それは田舎者である私がどんなにがんばっても無理というもの。だからこそ、老舗に、町の歴史に、そこに流れ続ける時間にあこがれるのである。だが、あこがれる私の気持ちとは関わりなく、あこがれる対象も勝手に変わる。廃れることもある。新しい違うものに生まれ変わることもある。生き物である人が集うのが町なのだから、町もまた生き物なのだ。  私に銀座を「わが町」という資格なんかないとずっと思っていた。でも、昨日わかった。「わが町」である私の銀座はあったんだ。そして、今はもうないんだ。銀座に通ったのは十五年間。銀座に通わなくなって十五年。年月とはそういうものである。





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