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Revue

※ご本人の許可を得てFB投稿、コメントを掲載します。

※敬称は略させて頂きます。

耳を傾ける

                                                                                   

  尾上そら(編集者、ライター)                                                                

 

 父が金属加工の職人で、実家は玄関を入るとすぐ小さな工作機械が幾つかある土間と、そこに続く畳敷きの空間が仕事場になっていた。その奥に台所と食卓のある部屋、2回が住空間。仕事中はいつもAM局のラジオ番組が流れ、耳慣れたジングルやCMで、今が何時かわかるほどだった。

 音楽、ニュース、トークバラエティ、ドラマ……etc。深夜放送にはまるなどという思春期らしいことはなかったけれど、仕事や家事の邪魔にならぬ程度に生活を彩る、ラジオの奥ゆかしい存在感は、遠い記憶の中にもはっきりと刻まれている。

 ウイルス禍に飲まれるように数多の公演が延期・中止になり、劇場も大小の別なくクローズするしかなくなった4月からの期間。ゴールデンウィーク時期に、青森と東京の二都市で毎年公演を行っていた「なべげん」こと渡辺源四郎商店も上演を断念した劇集団の一つだ。ただし、折角の座組をそのまま解散にはできぬとばかり、同劇団のドラマターグにして劇作家・演出家の工藤千夏が踏ん張り、創作を行った成果が『居酒屋ジパング~みーちゃんの行方~』。過去作品の配信や、会議ツールを使ったネット上での公演など、つくり手たちの不屈の精神を象徴するような創作と挑戦が続くなか、工藤は“留守電一人芝居オーディオドラマ”という、新たな演劇のパッケージの仕方まで提案してみせる。それは記憶の中の、幸福な「ラジオの時間」に重なるものだった。

 初日から1話ずつアップし、全8話がそろって以降は総集編ヴァージョンを含め随時ダウンロードOKという形式。筆者は8話をまとめて聴いたが、1話ずつというのもきっと趣があったことだろう。

 新宿の片隅にある居酒屋じぱんぐ、その店の留守番電話がドラマの舞台。常連客や近所のコンビニエンスストアに勤めるベトナム人、店主をよく知る名乗らぬ男、じぱんぐでアルバイトをしていた青森出身の女性専門学校生らが閉じたままの店と店主、看板ノラ三毛猫みーちゃんを気遣い、或いは一人の無聊をなぐさめるための問わず語りを繰り広げる。

 饒舌に語り続ける登場人物をよそに、店主とみーちゃん、いわばタイトルロールの一人と一匹の不在が続く。今作はその「不在」をめぐるミステリーであり、ウイルス禍にある日常と非日常の狭間を覗き見るためのファンタジーでもあるのだ。

常連客が語る名物メニューや店の雰囲気から、じぱんぐはファンが定着している愛され酒場だとわかるが、だからこそ理由が不周知の休業が回が進むごとに余計気にかかる。工藤の綿密に練り上げた台詞の言葉、隣りの席で飲むにはちょっと面倒くさそうな常連客たちのキャラクター設定、アルバイトの学生が吐露する家族や故郷と分断される苦しみなど、1話のドラマ部分は正味7~8分だが、そこには未曽有の事態に突如放り込まれた市井の人々、いや、それ以前から大都市圏で暮らす孤独や重圧にさらされ喘ぐ人々の心情が深く滲む。

目で見るものがないからこそ、流れて来る言葉と音に存分に耳を傾け、想像は常の観劇よりも二倍、三倍、それ以上に膨らんでいく。それぞれに録音された台詞に、雑踏や自然音など音効を加え、編集した音響・藤平美保子の仕事がまた絶妙で、頭の中には『三丁目の夕日』的昭和ワールド、その一角にひっそりと立つ小さな酒場の佇まいがくっきりと像を結んでいた。

時空が歪み、人々が邂逅する飛躍の大きな終景はさすがの工藤千夏ワールド。皆の強い想いが運んだ奇跡か、過酷な現実から心を逃すための幻か、当たり前のことが当たり前にできなくなった現在とリンクし、瞬間ほの昏い世界の裂け目が見えるようだ。

   ドラマは終わり、聴く人の数だけ生まれた脳内舞台の幕が下りる。実際の劇場に足を運ぶには今しばし時間が必要だろうけれど、演劇を、舞台を愛する人は誰もが、その身の内に自分だけの劇場=想像力を持っていることを今作は思い出させてくれる。

2020.6.7

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​小林文子 (日本語教師、青森県平川市出身でブルガリア在住)

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※この画像は当該ページに限って東奥日報社が利用を許諾したものです。

 

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   松本祐子 (文学座 演出家)                     

 

 自粛生活の毎日で、時折猛烈に恋しくなるものがある。それは稽古場近くの焼き鳥屋で食べるレバーの焼き鳥と生ビール。もうずいぶん行っていない。その味も猛烈に恋しいのだが、その場所の空気感とそこに集う人々の顔が恋しい。別段仲の良い人たちではないのに、会いたいなぁと思ってしまう。居酒屋ジパングに留守電を残す人たちもそんな寂しがりの人たちだ。やたら、自分の話をし続ける常連のアイちゃんっていう名のおっさん。この人にとっては、この居酒屋が生きる活力の源なのだろうなぁと思う。お店が開いていなくて、どれだけ寂しいんだろうと、可哀想になってしまう。そして、近所のコンビニの外国人労働者のグエンさん。この人の語り口調には、大声をあげて笑わされた。作家の言葉のセンスに、外国人が混同してしまう単語の選び方に大爆笑!!そして、常連の中で「先生」と呼ばれるやたら言葉が丁寧で、説明がまどろこっしい山本さん。いなくなった野良猫のことを心配しているというのを口実に、いや、そりゃまあ、本当に心配しているのかもしれないんだけど、みんな居酒屋ジパングの留守電にメッセージを残していく。どのメッセージも今まで集っていた場所が恋しい気持ちに溢れている。そして名乗らない男という存在が、ただただ明るい声でメッセージを残しているマスターの個人的な生活もあぶり出していく。そしてバイトのゆいかちゃんの言葉に、今のわたしたちの恐怖を十二分に感じて、胸が苦しくなる。そう、みんなレベルは違えど怖いって思っている、この怖い感じはしばらくずっと続くんだよなぁ…とせつなくなる。共同体の繋がりがなくなって社会が脆弱になっていると言われているけど、居酒屋は現在の大切な大切な共同体の場で、寂しい人たちの居場所で、本当になくてはならない大切な場所だなぁと、「乾杯」の声とともに人ともに集いたいと、心と身体が濃厚接触できる日が早く帰って来てほしいと、ふつふつ思う。笑った、泣けた、そして行ったことのない居酒屋ジパングに行った気になれた、常連さんの顔が見えた、そして行きつけの居酒屋の空気をも吸った気になれた。ありがとう・・・・。     

2020.5.27

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    中桐康介(西日本放送アナウンサー)  

 

 私は「居酒屋」が好きで、週に6日は飲みに行っていました。 去年結婚をし、妻の小言に耐えかね週2回になってしまい、それがこのご時世で今では全く行けなくなってしまいました。 そんな時に出会ったこのドラマ。居酒屋という空間とそこに集う人々に、懐かしさを覚える素敵な時間でした。

 居酒屋は、名前や職業すら知らない人同士が、お酒の力と何よりマスターの力で仲良くなっていきます。 学生時代のクラスメイトや部活動の仲間、大人になってからの職場の友人、そういった関係とは全く違う、不思議なつながりが結ばれていく空間です。

 その空気感が、音だけで、いや音だけだからなのか、絶妙に再現されていて、居酒屋で飲んでいたあの日を鮮明に思い出すことができました。

 でもその「あの日」はつい最近のことで、失われるとは思ってもいなかったこと。だからこそ、なんとも切なくて胸を打ちます。

 居酒屋の常連客たちは、寂しさを埋め合わすように饒舌になっていき、留守電に言葉を吹き込み続けます。

 そして毎回流れるマスターの留守電メッセージ。同じ言葉なのに、常連客の言葉によって毎回違って聞こえるのが不思議です。 最後まで聞くともう自分が「居酒屋ジパング」の常連なような気がしてきて。 マスターと話したくなって、先生に説教されたくなって、優香ちゃんの夢を応援したくなって、そしてみーちゃんの行方が気になって…。

 

 よし、今夜は飲むぞー!ビールおかわり。 ツケでいいかな? マスター。

2020/5/18

 

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     櫛引素夫(青森大学社会学部教授、地域ジャーナリスト)

 5月16日深夜(17日未明)、CDで入手した総集編をまとめて聴きました。仕事をしながらだったので、正直、あまり台詞が頭や心に入ってこなかったかもしれない、でも、「この時」という切実さは、心と頭に届いて。小学や中学のころにラジオで聞いていたドラマ-小松左京の「日本沈没」など-を思い出しながら。

 

 日々、ダウンロードしながら聞いていた人と、まとめて聞いた場合との差はどんなでしょう。例えば、客席が「青森側」と「函館側」に分かれていた、なべげんの演劇「海峡の7姉妹」を、どっちの席で見たかで、どう印象が変わるか、みたいな。その差分を考えること自体が面白そうな、などと考えながら。

 

 途中までは、「面白い企画ではあるな」という印象で聴いてはいました。近藤芳正らが大型連休中に披露した「12人の優しい日本人」のライブ配信にも似て。リアルタイムで観るか、後で動画を観るか、みたいな。ただ、何となく、想定内、という印象もありました。着地点も特に考えずに聴き、夜が更けていきました。

 

 しかし、最終話で涙腺崩壊。私たちは何を取り戻そうと願い、どこまで果たせるのか、そもそも、ヒトという生き物や文明の根幹に関わる、このウイルスという存在に、どう向き合う作法があるのか、等々。私たちの世代は、世界大戦を(今のところ)免れつつ、パンデミックに遭ったのだな、などとも。四層、五層の思いがわき上がってきました。少し呼吸を整えました。

 

 今の職に就いて以来、学生諸君の「根拠のない楽観」を戒めつつ、一方で、「根拠のない楽観」のない人生もまた成り立たない、とも噛みしめてきました。さて、今、地軸を揺るがす勢いの危機に対し、どう対峙すべきなのだろうか、と。

 

 私たちは、かつてなべげんが「さらば! 原子力ロボむつ」で描いた、あるいは、同じく「シェアハウス『過ぎたるは、なお』」で描いた世界を、多少、位相のずれた形で体験しつつあるようにも感じます。本当は、私たちは、このような世界を予期し得たのではないか、あらかじめ知っていたのではないか。加えて、歴史に、パンデミックに関する無数の痕跡と教訓、記録があった。にも関わらず、無防備のままだった。

 

 現時点でも昏い予感はありつつ、そして、「元通り」という言葉に立ち戻れないとも感じつつ。劇場という場を共有する時代が当面、訪れないかも、という環境下で、では、何を諦め、何をつくり、何を追求/追究/追及するのか。

 

 成人に達する前にCovid-19に遭遇した、0歳から22歳までの世代を、「ジェネレーションC」として、再定義する動きがあるそうです。かけがえのない年月を、Covid-19に何らかの形で奪われ、また、「Covid-19の存在」を前提とせざるを得ない若者たち。

 

 どこまで、どんな形で、いかに、私たちの生を全うするとともに、「コロナ時代」とジェネレーションCに向き合っていくか。

 

                             *

 

 いつ取り戻せるのか、あえて今は考えない、ただ、懐かしい「なべげんのステージ」。それを記憶の軸に据えて、「前へ」。

 

(2020.5.17記)

 

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         堤 佳奈 (三重県文化会館 事業課演劇事業係)

 

 声だけの世界、留守電メッセージという電話の向こうの居るかどうかわからない相手に対して語り掛ける行為から、今を生きる人々の心の声が聞こえてくるようでした。

2020.5.14

     

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    油田 晃(特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ 代表理事)

 

 

   本来ならゴールデンウィークにザ・スズナリで公演を行っていたのが渡辺源四郎商店。津あけぼの座でも上演された「コーラないんですけど」が、新たな俳優さん達でどんな出来になるんだろうと楽しみにしていたんだけど、劇場閉鎖となり、公演も中止。
 だったらと、うさぎ庵の工藤千夏さんが、オーディオドラマを描いて、オンラインで稽古して収録、編集したのがこの『居酒屋じぱんぐ〜みーちゃんの行方〜』。

とても優しく、そして、繋がっていないようで、繋がる場所があるということが、私たちにはとても大事なんだと。オンラインが盛んになってもオフラインで集まれる所を持っていること、例えばそれが居酒屋だったり、例えばそれが劇場だったり。

 個人的にはオフラインで是非『「居酒屋じぱんぐ」の料理を食べる会』とかして欲しい。なんだかみんな美味そうに聞こえるんだよな(笑)

 素敵なオーディオドラマになってます。
   試し聞きもできるみたいですが、全部聞くといろんなナゾが解けます。

​2020.5.11

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         今村 修(演劇評論家)

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 お籠もりの長期化、劇場閉鎖が続く中、それでもどっこい生きている、様々な工夫凝らして表現を発信しようとする演劇人の試みが目に付くようになってきた。短編ドラマの戯曲を募って「映像配信」に挑んだり、DVD化されていない劇団の過去作品を無料配信したり、演劇の可能性を広げる試みが登場している。


 渡辺源四郎商店Presentsうさぎ庵の留守電一人芝居オーディオドラマ「居酒屋じばんぐ〜みーちゃんの行方〜」(作・演出=工藤千夏)もその一つだ。4月28日に下北沢のザ・スズナリで初日を開けるはずだった「コーラないんですけど」の座組メンバーが中心となって創り上げた、声だけ1話10分ほどの一人芝居を1話ずつダウンロード販売し、8話で完結させると言う試みだ。


 新宿の片隅の「居酒屋じぱんぐ」。新型コロナウィルス感染拡大に伴いただ今店は閉まっている。そのマスター(田中耕一)の携帯に今日も店の常連から電話がかかってきた。お調子者の会社員アイちゃん(大井靖彦)、心優しきコンビニ店員グエンさん(西川浩幸)、一言居士のセンセイ(桂憲一)、何だか訳ありらしい名乗らない男(植本純米)、そして青森出身のアルバイト店員・優香ちゃん(我満望美)。だが、マスターは出ない。留守電へのメッセージがいくつも繋がっていく。その中から、マスターが可愛がっていた野良ネコのみーちゃんが行方不明らしいことが明らかになってくる。


 喪失感と懐かしさが漂うドラマだ。そもそも、1話10分ほどのドラマで、毎回必ず最初と最後に、タイトルやナレーション、キャスト・スタッフ紹介、主題歌が流れるという形式が思いっきり昭和な感じでしみじみと懐かしい。行方不明のみーちゃんは、いつ戻ってくるかも知れない平和な日常の形象かでもあるのだろう。口々に語られる、余り必死でもない心配は、感染拡大を恐れながら、どこかまだ暢気でもある今の気分と微妙に重なる。


 一方通行の留守番電話というメディアの閉塞感。それは、イタコの神降ろしにも似て、どこか禍々しくもある。そのどうにもならない感じ。そして一度はメッセージを返したらしいけれど、どこで何をしているのかまるで分からない不在のマスター。行方不明のみーちゃんより、こっちの方がゾクリと恐かったりもする。その挙げ句に、虚実の境が一気に滲む最終回。「マスターの不在によって満たされた」この世界には確かに現在の東京の風が吹いている。(敬称略)

​2020.5.4

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