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  • 執筆者の写真震災高校演劇編集部

青森中央高校演劇部「もしイタ」石巻公演 畑澤聖悟

青森中央高校演劇部「もしイタ」石巻公演  2019.06.01

                  畑澤聖悟(青森県立青森中央高等学校演劇部顧問)




 今年度の演劇部員は27名で、人数は昨年度と大きく変わらない。新入生歓迎公演と新入生公演を経て、3週間というタイトな稽古日程であった。とはいえ、演出担当の田川七海(3年生)らの奮闘により例年以上に質の高い「もしイタ」ができあがったと思う。


 石巻公演は6月1日(土)、みやぎ生協文化会館「アイトピアホール」で行われた。石巻市は東日本大震災で死者・行方不明者を合わせほぼ4000人の方々が犠牲となった。会場のある石巻駅前も津波で大きな被害を受けた。2012年、震災後初めて訪ねたときは多くの店舗がまだ手つかずの廃墟となっていたが、現在は町並みが綺麗にお洒落に整備されており時の流れを感じずにはいられない。会場は震災後に建てられた小規模の多目的スペースで50人ほどの観客を想定していたのだが、倍近くの96名の来場があった。宮城県内の多くの高校演劇の仲間たちも駆けつけてくれた。

みやぎ生協文化会館「アイトピアホール」

 終演後、仙台市内から来た15名の高校生と共に、石巻市釜谷山根の大川小学校跡を訪ねた。言うまでもなく児童74名と教職員10名が犠牲となった悲劇の小学校である。顧問である私は2012年以来2度目の訪問であるが、同行した仙台市内の15名の高校生を含め、部員全員が初めて目の当たりにする廃墟。かつては円形のモダンで瀟洒な校舎だったのであろう。それが一層悲しい。部員達は目を見開き、口をつぐみ、ただ圧倒されていた。そこここに点在する石積みは我が子を失った親が積んだのであろうか。前回訪問時には風車もいくつかあった。この風景が恐山(むつ市)や川倉(五所川原市)の賽の河原を思わせ、死者による癒やしの呪法であるイタコが登場する「もしイタ」の世界観と否応なしに繋がってくる。2016年、石巻市はこの校舎を震災遺構として保存することを決めた。いつの日か、いや近いうちに、この遺構で「もしイタ」を上演することが出来たらとの思いを新たにした。



大川小学校跡(石巻市釜谷山根)

 「もしイタ」は9年目である。今回の石巻公演が98ステージ目となる。1年目の被災地応援ツアー(八戸→気仙沼→大船渡→釜石→久慈)に参加した3年生は今年26歳になる。今回の観客の中には前回の石巻公演(2013年、石巻市中央公民館)や女川公演(2017年、女川町まちなか交流館)を観たという方が何人かいた。7月に予定されている通算100ステージ記念OBOG公演のチラシを見て「あのときの子がまた出るんですね」と声を掛けてくれたご婦人もいた。続けることに意味がある。そう信じてこれからも「もしイタ」を上演し続けたい。今回ご助力いただいた仙台高校の杉内浩幸先生を始めとする宮城県内の高校演劇部顧問の先生方には2012年の宮城県内公演(仙台→利府)以来、多大なるサポートを頂いている。また東北大学災害科学国際研究所の小野円氏には観劇においで頂いたその足で大川小学校のガイドを買って出て頂いた。この場をお借りして深く感謝したい。




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