• 震災高校演劇編集部

飯舘校演劇部と私 演劇部顧問 西田直人

最終更新: 2019年2月24日

福島県立相馬農業高校飯舘高演劇部東京公演『ーサテライト仮想劇ーいつか、その日にー』ラストステージに寄せた西田直人顧問からのメッセージです。


○設立

「今、どこにあるんだっけ?」

飯舘校に赴任直後の2014年4月、娘の高校の入学式で再会した元同僚からかけられた言葉です。同じ福島市にある、しかも同じ県立高校の教員が「飯舘校サテライト」の存在を忘れている!それが現状なのだと思い知らされた瞬間でした。人は、辛いことは「なかったこと」にしてしまう生き物です。(勿論、私もその例に漏れません)でも、飯舘校では今まさに、生徒が学んでいる。先生たちも今まさに、一生懸命教育活動をしている。そんな飯舘校の存在を世間に伝えなくてはいけない、忘れられたままにしておきたくない、そう思った瞬間でした。演劇部を作って、この世界に「存在」しなくてはならない、と強く思いました。(ただしこの時は、サテライトの芝居をやる、という意味ではなく、「飯舘校」の名前で大会に出る、という気持ちでした)

福島県立相馬農業高校飯舘校サテライト校舎

 当てはありました。赴任前年、2013年の県大会は福島県文化センターでした。福島明成演劇部の顧問として県大会のリハーサルを行っている時、会館職員さんから紹介されたのがUという生徒でした。「この子、飯舘校からインターンシップで来てるんですよ。演劇に興味があるのだそうです」。その時は、まさか翌年飯舘校に異動するとは思っていませんでしたが、とりあえず「よろしく」と挨拶をしました。さらに3年生担任から「入学時よりKという生徒が演劇をやりたがっていた。先生が明成で演劇部顧問をしていた、と聞いて喜んでいた」という話もあり、あともう一人くらい探せばできるのでは?と見込んでいたのです。

 しばらくすれば、UやKから「やりましょう」と言ってくるかと待っていましたが、しばらくの間、生徒からは何のオファーもありませんでした。最初の一歩が私からだと、あとあとの活動がうまく行かない気がして、しばらく静観していました。そして、ついにその日が来ました。5月も終わり頃のある日の放課後。たまたま2階の廊下を歩いていると、ちょうど残っている生徒はU一人だけでした。教室や廊下に夕陽が差し込んでいました。「周りに誰もいない今なら言って来るかな?」と、しばらく廊下をウロウロしてみせました。すると思惑通りUが教室から出て来ました。「お!来たぞ」そして!「先生、僕、演劇がやりたいんですけど」。「待ってたよ!」と思いました。まるで青春映画の告白の場面のようでした(笑)。「そうか!俺もやりたいと思ってたんだ。だったら3年のKにも声をかけてみよう」。二人に加え1年生一人を誘い、6月上旬、全くの有志団体(つまり勝手に活動しているだけ)である「演劇愛好団」が、団員3名で発足しました!

 その後、1年生をもう一人加え、10月の紅葉祭でコントを披露。自分が生徒会顧問であることも利用(悪用?)して、11月の職員会議と12月の生徒総会で演劇部の発足を認めてもらいました。飯舘校の良いところは、職員の人数が少なく気心が知れているので、こういった場面であまり反対が出ないことです。避難中という特殊な状況でもあり「できると思うなら、すぐやったらいいんじゃない?」という雰囲気で、赴任わずか9ヶ月で正式な演劇部が発足したのです。(ちなみに福島明成では、同好会立ち上げに2年、部活動昇格に2年かかりました)



○大会参加

 トントン拍子に演劇部ができたのは望外の喜びでした。

 早速1月、福島明成演劇部の自主公演にまぜてもらい、この「こむこむ」で旗揚げ公演を行いました。(本公演は元々、福島明成時代に私が立ち上げた公演でしたので、甘えさせてもらいました。“敷地内転勤”はこういう時、便利ですね)これが『真冬の高校演劇!vol.1』(こむこむ自主公演)です。演目は『ファントム オブ サテライト』。村の飯舘校とサテライト校の間で揺れる生徒や“校舎”の気持ちを描きました。発想の元は、休日一人飯舘校で仕事をしていた時に聞こえたカーンというラップ音(?)でした。「ああ、村の校舎の魂がここに来ている」と、まぜか思ったのです。それが忘れられなくて脚本にしました。遠く南相馬市の相馬農業本校から農業クラブ役員が鉢植えをプレゼントに駆けつけてくれたのも懐かしい思い出です。多くのお客様の前で、「飯舘校」の名で、サテライト校舎を描いた作品を上演できたこと、本当に本当に嬉しかったです。3年生だった初代部長Kと手伝いで参加の合唱部部長Aがこの公演のみで卒業だったのは残念でしたが。


『ファントム・オブ・サテライト』舞台写真

 2015年4月には、新入部員として千那、優歩が入部。6月には夏海が入部し、総勢6名となりました。音響は手伝い、照明は副顧問(この頃は和義先生)という綱渡りの人数でしたが、いよいよ「大会参加」です。覚悟していたことではありますが、稽古場所や予算、人数の制約、部員たちのモチベーションの課題も大きく、戸惑うことばかりでした。しかし何よりサテライト校舎で演劇部活動ができる喜びが大きかったです。福島市にあるのに「相双地区大会」参加、というのもなかなか難儀でしたが、とにかく「できる範囲」で「私たちの存在を伝える」ことを目標に活動しました。

 平成27年度相双地区春の発表会の演目は『戦え!I2T2!』。除染や復興への努力と、それらに対する批判をウルトラマン的世界に仮託して描きました。当時の部員たちは自分に自信がなく、すぐ引いてしまう傾向が強かったのですが、とにかく無事上演をやり遂げました!ここで、大会参加の流れを作ることができました。続いて秋には平成28年度相双地区秋のコンクール参加。演目は『ファントム オブ サテライト〜飯舘校の怪人〜』でした。旗揚げ脚本を大幅改稿したものでした。なにしろコンクールです。上演するだけでも十分すごい事だと思っていましたが、やはり個人的には県大会には出たかったのです。演劇部を作った目標の一つは、福島県の方々に、我々の存在を知って欲しかったからでしたので。そう考えると、他校と同じことをしていたのでは、うちの部は明らかに不利です。それをひっくり返して県大会に行くためには「うちにしかできないことをやる」しかありません。「うちにしかできないこと」、それは、サテライト校舎で学ぶ私たちの状況を芝居にすることです。そこでコンクール初作に『ファントム』を選びました。結果、地区大会最優秀賞!1校しかない「相双地区代表」として県大会に出場できました!私としてはここで目標達成でしたので、まさか県大会優秀一席で東北大会に出られるとは夢にも思っていませんでした。予算、部員の健康面、そして何より“ポッと出”の部が東北大会に出るということでプレッシャーも大きかったですが、何とかやり遂げました。並み居る強豪校に伍しての上演は立派でした。感無量!ただ、遠く青森八戸のお客様たちに「サテライト校」をわかってもらうのには苦労しました。客席の反応は「?」な感じがありました。しかし、この経験が『いつか、その日に、』執筆に活きたと思っています。(広く伝えるには「特殊から普遍へ」を目指さなくてはならない、ことを学びました)そして1月には『真冬の高校演劇!vol.2』を無事やり遂げ、予想外の成功に終わった2015年シーズンでした。

 しかしここで、2年生2名が退部。これは10月から言われていました。コンクールが終わるまでは、と約束して続けてもらいましたが「終わったらやめる」部員への指導というのは、なかなかしんどかったです。それでもなぜ頑張れたのか?と問われれば、3年生のUに良い思いをさせてやりたかったからです。さらに1年生からも1名、退部したい、の声が出ました。(これは翻意してくれましたが)初出場で東北大会出場という、まるで“マンガのような”(と他校部員に言われました)成功を修めたのに、残った部員は3名。これだけの成功体験をしても尚逃げる、努力を億劫がり成功を求めない生徒たちに落胆も感じました。これでは2016シーズンは、東北大会どころか県大会も難しいだろうし、そもそも芝居が創れるのかもわからない、と絶望もしました。しかし私は見ました。3名だけになっても、文句も不安も言わず、日々の基礎練習を黙々と続ける1年生3名の姿を。「やってやろうじゃん!この3人に、絶対良い経験をさせてやるぞ!」とやる気と闘志が湧いて来ました。

『ファントム・オブ・サテライト』舞台写真

○いつか、その日に、

 3月に滝翔が入部し喜んだのも束の間、1年生の入部は0…でした。実績をあげても、逃げたり無反応な飯舘校の新入生たち。苦しかったです。でも、とにかく“オリジナルメンバー”3人に良い思いをさせてやりたい、と必死に前を向きました。

 2年生のみ4人、音響は手伝い、照明は前年度副顧問が転出したので、赴任したての佳代子先生にお願いしました。赴任早々の無茶振りにも優しい笑顔で応えてくれた佳代子先生には本当に感謝しています。

 相変わらず綱渡りの状況の中、「サテライト校閉校」を題材とすることに決めました。演劇部を作った時から「いつかやらなくてはいけない」と思っていた題材ですが、もう少し先にやるつもりでした。(帰還が決まればその年に、と思っていました)しかし、1年生が入らなかったので「コンクール参加は今年で最後かもしれない」と思い「今やるしかない」と取り上げることにしました。

 平成28年度相双地区春の発表会、演目は『いつか、その日に、』。サテライト校舎最後の日と、村の校舎最初の日を描きました。この作品は、執筆当初から春の手応えを見て、良ければ引き続きコンクールでもやろうと考えていました。何しろ前年度東北大会の主力はいなくなってしまい、当時の2年生の力では、春から同じものに取り組まなければ県大会出場は無理だと考えたからでした。サテライト校閉校を描いているので、どうしても県大会まで行って県内の方々に見せたかったのです。春秋同作とすることについては勝算がありました。2年生は皆コツコツと稽古ができるタイプだったので、同じ作品に取り組んでも、飽きたりすることなく一直線に成長し続けるという見込みでした。

 春の発表会、地区大会までは村へ帰った生徒たちのシーンがありました。しかしどうにも場面にドラマが生まれず、県大会前にカットしました。「やはり私たちは、私たちの置かれた状況から作品を創るしかないのだ」と悟りました。

 地区大会は優秀1席(2位)でした。通常1位しか出られない県大会ですが、2016年はたまたま「+1ローテーション」が相双地区だったため2位まで県大会に出場することができました。つまり1年ずれていたら、この作品は全国大会どころか地区で終わっていたのでした。

 県大会は2年生(=部員全員)が修学旅行でリハーサルに参加できない(ちなみにリハは3年生の手伝い音響Iと、やめた3年生に1日だけ復活してもらって生徒二人で参加しました)しかも会場入り初日の上演、(無理を言って、昼休みに20分ほど舞台を踏ませていただいただけ)という悪条件でしたが、とにかく気迫のこもった上演でした。ここでも2位で東北大会推薦!2年連続の東北大会出場です!しかも2016年東北大会は県内(いわき)開催です。いわきなら、私たちの芝居もよく伝わるはず、と思うと、運命の巡り合わせのようなものも感じました

 東北大会は、納得のいく上演でした。実際に上演を重ね講評をもらって稽古を重ねていくうちに、ようやく登場人物の心情と演技が“ピタリと”決まった気がしました。「ああ、こういうものを創りたかったんだ、オレたちは」という気持ちでした。審査結果発表で「最優秀賞」を告げられた時の驚きは、それこそ天井が落ちて来たような衝撃でした。福島明成から出る頃だったでしょうか、ふと「オレは、ずいぶん演劇部指導を頑張って来たけど、おそらく全国大会は一生出ることはないな。」と思ったことが頭に浮かび、運命の不思議さを味わいました。

 全国大会出場が決まって上演が増えました。1月富岡復興支援、「真冬の高校演劇!vol.3」、南向台小学校、相双地区春の発表会、壮行公演。うちの部員の良いところは、とにかくコツコツ型で、通常これだけ同じ演目を演ったら飽きてしまうのですが、回を重ねるごとに積み重ねができ芝居の質は上がっていったと思います。

 全国大会には圧倒されました。あの1400の客席の迫力、独特な祝祭感。「全国常連校というのはこういうところで闘っていたのか!」と衝撃を受けました。正直、我々には大きすぎる舞台でプレッシャーも大きかったですが、何より飯舘校の先生方や知人、昔の教え子が喜んでくれたのが励みでした。飯舘校からは懸垂幕、壮行会、見送り、応援観劇隊派遣などたくさんの支援をいただきました。よく運動選手が言う「応援が支え」という言葉を実感しました。本番、部員たちは、あの迫力の会場とがっぷり四つに組んだ良い上演をしました。感無量。正に一生に一度の夏でした。

 大会後、反省会の後、みんなでランチを食べに行きました。そして、しばしの活動休止。5人の進路が決まったら活動再開を話し合おう、と別れました。そして4ヶ月後、今日の公演のために活動が再開されました。


『いつか、その日に、』舞台写真

○学校の協力体制

 飯舘校は小さい学校で不便も多いです。施設や予算面でも全国大会に出る強豪とは比べるべくもありません。しかし、小さいが故に良い面も多々ありました。何より常勤職員が10名しかおらず、全員が生徒全員を教えているため、先生たちは皆、演劇部の活動に好意的で協力的でした。上位大会に出れば一緒に喜んでくれましたし、懸垂幕やトロフィーケースもすぐに用意してくださいました。全国大会出発の際は、先生方総出でお見送りしてくださいました。全国大会でこのことを話したら他校の顧問に羨まれました。飯舘校ならではの「強み」も結構あるのです。感謝しています。

 予算面でも、生徒会予算は他の部と同じだけいただいていましたし、飯舘村からも飯舘校への支援予算があり、東北大会、全国大会などで使わせていただいたため、他の学校のように上位大会参加予算の捻出で悩むことはありませんでした。また、同窓会からも東北大会や全国大会に出場するたびに激励金をいただき、おかげで大会中の小回りもききました。


『いつか、その日に、』舞台写真

○部員たち

 2015年、1年生だった頃の部員たちの印象は「どうして、こんなに自信がなんのだろう?(すぐ言い訳をする)」「どうして、もっと周りと“仲間”になろうとしないのだろう?(休憩時間もほとんど各自で好きなことをしている)」「どうして、当たり前のことができないのだろう?(責任があるのに休む、挨拶や返事ができない)」「どうして喜ばないのだろう?(大会での表彰、何か提案をした時)」といったものでした。上演、いや毎日の稽古で不安がありました。「こんなんで上演できるのか?」と。

 しかし、大会、上演を重ねるたびにどんどん成長していきました。責任感を身につけ、前向きな雰囲気を作ることを心がけるようになり、挨拶や返事、報告もしっかりできるようになりました。何より芝居創りに対し真摯に前向きに取り組むようになりました。部長の千那はいつ頃からか、私が部活動の指示を出すと「今日もお願いします」と言うようになりました。当初は「わかりました」、すなわち“先生の指示で部活をやる”という気持ちの返答だったのが、“自分たちがやる、そこに先生も協力してくれる”という気持ちの返答に変わっていきました。部員たちは、決して演劇に向いているわけでも器用でもなかったのですが、とにかく「ここに残って続ける」という決断をし、それに日々コツコツと取り組み、やりきったのです。それがあの輝かしい成長を生んだのです。私も見習わなくてはならない、と強く感じています。

 現在の東京公演に向けての稽古は、お世辞抜きで、こんなに楽しい稽古は初めてという状況です。それは、部員たちが自分で創ろうとしているからです。顧問として、こうした部員たちの大きな成長を目の当たりにできたのは、全国大会出場にも勝る最高の喜びです。部員たちが見せた「可能性」「成長」の輝きは一生忘れません。

長くなりました。

それでは『—サテライト仮想劇—いつか、その日に、』最終公演をお楽しみください!






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